前回、秀吉軍を包囲したところで終わりました。
光秀率いる明智軍全勢力には黒田官兵衛といえど勝てません。兵糧攻めは成功し、多くの武将を捕虜に。羽柴軍は半壊しました。
そのまま摂津を切り取りにいってもよかったのですが、伊勢方面の相手が思ったよりも弱く、対柴田以外の兵を全て伊勢に集結させます。
電光石火のごとく伊勢を征服。その途中で伊賀忍者を捕虜にしたのですが、伊賀惣国滅亡とともに大半の伊賀忍者は行方不明になるというイベントが起こり消滅。
こんなの絶対おかしいよ せっかくの苦労が水の泡に。
蒲生家を滅ぼし知謀7の氏郷を登用。そして捕虜にした羽柴軍の藤堂高虎も配下に。

そして摂津に戻り、摂津切り取りの再開、相手は抵抗らしい抵抗もせずに城を奪われます。摂津の羽柴臣従下の領地を全て奪いました。
いよいよ人材が揃ってきたので、ここで軍団を作ります。大将を蒲生氏郷にし有能な武将を軍団付けに。光秀側はプレイヤーが操作できるので、能力は気にせずに運用できます。

東奔西走なんのその。ここでじっくり腰を据えて攻略に当たれるようになりました。光秀軍は越前の柴田をやっつけにいきます。
羽柴よりも柴田のほうが直轄地が少なく、越前に集中しているため、攻めやすいからです。
余った武将は美濃を攻めさせます。強敵がいないので、能力が低い武将でも十分にこなせる任務です。
城が固いので一気に進軍できません。例えば城レベル8で4000人の守備兵を置くことができ、40000の兵糧を保存できます。
3〜4万の兵で囲んでもびくともしません。あまり時間がかかりそうならつり出しを使います。
敵AIはつり出しを使うことができないので、たっぷりと守備兵を入れておけばこちらの城が落とされることはないでしょう。
順調に越前を攻略。同時に美濃の織田家も攻撃しています。
しかしここで思わぬパプニングが
なんと!
1586年 11月 光秀 病没え?
エエッ!?
当主光秀がこんなに早く逝ってしまうなんて!
これは没年齢設定ミスじゃないのか!?
包囲網突破を前に無念すぎる。
せっかく禿ネズミに一泡ふかせ、実力でもって信長の後継者の地位を確立した矢先にこれとは。
憐れなり。
後継者は嫡男の明智光慶。まだ10代の若者です。父から受け継いだ広大な版図と維持しなければなりません。
現実ならば有力な家臣が怪しげな動きをしはじめるでしょう。
しかしこれはゲーム。みなさんとても忠実です。ここは
明智秀満や
斉藤利三らの譜代の家臣がしっかりと支えてくれていると解釈します。
父の偉業を引き継ぎ、光慶は越前から柴田を追い出しました。
すると佐久間、前田、佐々の柴田旗下の旧織田家臣が一気に寝返りました。主殺しの光秀には仕えられないけど子の光慶ならばという心情なのでしょうか。
1687年柴田家滅亡です。本能寺の変から5年。北陸の雄もここに費えました。

人間六十年。下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。
posted by だいろくてんま at 11:20| 群馬 ☔|
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本能寺の変後(改)・明智家
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