このパラレル歴史ではこういう言葉が生まれても仕方ないぐらいお膳立てしてもらった松平家の天下取り。
ようやく待望の若君がデビューしました。
松平元康15歳。人質の身分から抜け出し、大望を果たさんと動乱の戦国時代に旗をあげます。
元康の能力は極めて高いです。野戦統率が6しかないのは、残念ですが。城攻めよりも、野戦に強いと小説なんかでは書いてありました。

その頃の松平家の勢力は
1556年12月 肌色が松平。

織田を滅ぼし、今川を従属させ、東海地方の平定しているのでした。
一番苦しい時期を家臣任せにできた元康。しかし彼の仕事だってちゃんとあります。
■有力大名がどういう風に伸びていくかを予測する。
■特に、北条と武田を戦わせるように仕向ける。
■自勢力をすばやく首位にし、一番有利に外交を進められる立場になる。
とりあえず、北条とは休戦を結び、西上することにします。美濃ルートと伊勢ルートがありますが、近江・伊勢を拠点にし、紀伊に伸びている六角を叩くことにしました。
元康の初陣です。
ほとんど抵抗を受けずに伊勢の上半分と、南近江を奪取。朝倉が急激に勢力を拡大してきた。もう少ししたら叩こうかな。

伊勢をとったあたりで武田が予想外にすばやいスピードで東北を制覇しました。そして、武田に石高で劣る松平に北条が宣戦布告。
一瞬ひやりとしました。こっちの主戦場は近畿地方です。そっから関東くんだりまでいくのは遠すぎる。そこで、城が落とされる前に不戦同盟をし、破られたらまた不戦同盟。時間稼ぎをしているうちにようやく松平が首位に。
首位になった瞬間北条が武田に宣戦布告。分かりやすいやつらだ・・・
松平は近畿平定をゆっくりと進めていましたが、ここで予想外2が。
大友の軍勢が中国地方の日本海側を船でぴょんぴょんと進み、いびつな形に勢力をのばし、朝倉の勢力圏と接触。朝倉は斎藤と大友と二面作戦を強いられピンチに。
大友が伸びると嫌なので、仕方なく戦いにいきますか。予定とはだいぶ狂ってきました。
予定では、三好と六角を倒し、近畿をとったら、朝倉と斎藤を倒して中部北陸を平定。そののち中国四国と進み大友と戦いたかったのに。
元康「計画通りにはいかんとぶぁい」←智謀8
酒井正親(わしは全部うまくいった)←智謀1
覇王の家。三河時代から小牧長久手までのお話です。