久しぶりに起動して続きをしたため、前回どこで終わったのかがすっかり忘れている始末。
確か九州を攻めて、大友をやっつけたんだけど、大友従属の島津は手付かずで、後でやっつけようとしたんだよな。
と思い出しつつ状況を見てみると。
あれ?直家が九州にいない。土佐にいる。でも直家直属の軍は九州南部で対島津スタンバイ状態。
解せぬ。と思ったのですが、島津は軍団で攻撃して、直家は一足先に武田・北条戦に向かうようにしたんだな。と納得し再開です。
島津は軍団に任せます。直家は四国の上杉謙信軍団の中で兵数の多い武将を直轄下し、仕上げの関東東北へ。
武田と北条で覇権を争っています。武田がややリード。漁夫の利を得るために武田から攻撃。
圧倒的な人数の前に500万石武田はなす術なし。戦略もあったものではなく、ただ人数で押していきます。
四国にいた上杉謙信を懐かしの甲信越に呼び戻しましたが、やってくるまでに時間がかかりました。
軍団はどういうアルゴリズムで四国から渡ってくるのかはまったく分かりません・・・
それでもしばらくするとやってくるのだから、空き軍船探して渡海しているのでしょう。
武田と戦っている最中に九州の島津は滅亡しました。すでに兵力は余っているので九州軍団20万はお役御免になります。
九州統治を任せます。
戦といっても一方的な戦ですが、関東から武田を追い出したところで、次は北条と。
武田と戦い消耗している北条も抵抗できずに降伏。宇喜多は関東を制圧しました。
しかし東海が残っています。武田が変なルートで侵攻したため、めんどくさい形になってしまいました。
めんどくさいところ(他国の城との接点が多い場所)は軍団にまかせます。
さあ、(めんどくさいから)謙信出番じゃ。存分に手柄をあげるのじゃ。
実際の歴史でも、大名の多くがめんどくさそうな山中の小城を攻めるときは部下任せにしていそうです。

天下統一最後の東北と東海の一部攻め。外交でも制圧できそうですが、長年精神的に苦しめられた武田は許すまじ。
思えば、武田北条三好大友の狭間で苦しめられた。しかしわしらの苦労も報われた。
と、譜代の家臣達は涙したことでしょう。序盤で勢力拡大に失敗し、中盤で膨張する相手を抑えられないと大変です。
結果としては順調に統一できましたが、中盤では焦りつつ無理に勢力を拡張させたプレイとなってしまいました。
直轄軍の兵力が少ないと同じような石高でも不利になってしまいます。時間がかかった今プレイでした。

1573年7月 統一
当主 宇喜多直家